二月の星のうえ

テイルズが好きです。ほぼネタバレに配慮していない個人的な感想です。

【ベルセリア】「なぜ鳥は空を飛ぶのだと思う?」に対する各キャラの回答まとめ

ゲーム中で、形を変えて何度も繰り返された問いについて考えていきたいと思います。

「なぜ鳥は空を飛ぶのだと思う?」に対するそれぞれの答えは、「鳴かぬなら ○○○○○ ホトトギス」的に人柄や思想が端的に表されているのが面白いところだと思います。

 

「なぜ飛ぶのか?」の回答一覧

ゲームでの登場順に記載していきます。
なお、問いかけの主体はアルトリウスとは限りません。
厳密な回答ではなくとも関連すると思われる部分も含みました。

キャラクター 回答 備考
アルトリウス? この小さき命がため、”理想の翼”は空に羽ばたかん セリカとの子どもの供養塔に刻まれた碑文
ベルベット
(3年前)
なぜって……飛ばないと餌を捕まえられないし……  
ラフィ
(3年前)
そうじゃないと餌がとれないからだよ。敵からも逃げられないし。でも、僕は思うんだ。翼をもった鳥は―― ベルベットとの会話中。言いかけたところで業魔に襲われる
アルトリウス
(3年前)
「鳥がなぜ飛ぶか?」これが俺の答えなんだよ、ベルベット。許さなくていい。すべては私の罪だ ラフィを生贄にした場面。この台詞とともに喰魔化したベルベットを刺して暗転する
エレノア それは……餌を捕えるため……でしょうか?
[アルトリウス「下がりなさい。お前が知る必要のないことだ」]
聖寮が何をしようとしているのか尋ねる場面
アルトリウス [ベルベット「シアリーズもいるわよ、あたしのおなかの中に」]
母鳥となることを望んだか……
 
パーシバル [フィー「解剖学の本には、骨が軽くて、翼を動かす筋肉にすごい力があるからだって――」]
いや……飛べない鳥は鳥ではないからだ。私はそう思う
 
ラフィ
(3年前)
鳥は、飛ばなきゃならないんだ。だって、空を飛べる翼をもってるんだから。僕にだって弱いけど翼がある。だから、今飛ばなきゃダメなんだ!(中略)僕は、守られただけで死ぬなんて……絶対に嫌だ アルトリウスは「お前の意志こそ”翼”――強い翼だ」と称賛
ベルベット 前に言ったわよね。飛べない鳥は鳥じゃないって。同じようにあたしも、心を凍らせた人は”生きている”とはいえないと思うの。
[フィー「うん、昔の僕がそうだった」]
だからあたしたちは、あたしたちとして生きるためにアルトリウスを倒す。誰に頼まれなくてもね
 
ベルベット アーサー義兄さん。「なぜ鳥は空を飛ぶのか」。答えがわかったわ。鳥はね、飛びたいから空を飛ぶの。理由なんてなくても。翼が折れて死ぬかもしれなくても。他人のためなんかじゃない。誰かに命令されたからでもない。鳥はただ、自分が飛びたいから空を飛ぶんだ!
[アルトリウス「そんなものがお前の答えか」]
そう、それが”あたし”よ
 
アルトリウス どうやら、お前から”絶望”を喰らうことはできないようだな。ならば……鳥は飛ばなければならない。強き翼をもつゆえに。人は鎮めなければならない。深き業をもつゆえに。(中略)今すべてを鎮めよう。我が羽ばたきで、人に相応しい静寂を……  
フィー 僕は、この世界にもたらしたい!(中略)どこまでも飛ぼうとする人たちが、翼を休められる時を!強くて弱い人間が……!怖くて優しい人間たちが……!いつか空の彼方にたどり着ける様に!  

 

並べてみるとよくわかると思いますが、
アルトリウス、ラフィは「翼をもつ鳥は飛ばなければならない」としているのに対して、ベルベットは「自分がそうしたいから飛ぶ」としています。
英語にすると、前者がmustやhave to、後者がlet it goみたいなニュアンスでしょうか。
ちなみに、「餌をとるため……」という回答は、この問いの本質を理解していないので門前払いです(笑) 

アルトリウスは、業魔のない世界をつくらなければならない。そのために穢れを生む源である人の欲や業を鎮め、意思を奪わなければならない。そうしないと穢れは永久に溢れ続けるのだから。世界を救わなければならない。自分にはその力があるのだから。と考えて計画を進めていきます。
それと同時に、愛する妻と生まれてくるはずだった子を殺した人間全体やこの世界を諦めたのです。

アルトリウスのやろうとしたことって、ある意味で復讐ですよね。確かに彼のやり方で、穢れを生み続ける世界は変わる。でもアルトリウスは、代わりに世界に意思を失くす呪いをかける。愛する人々を奪った世界を、痛みも愛もない世界にしてしまう。

アルトリウスがこの問いを繰り返すのは、「穢れを生まない世界に変えるためには、意思を犠牲にする必要がある。それが出来る能力がある者は役立たねばならない」というのが理だと理解できる者を、選別していたのでしょうか。
そして、強い感情をもつ人たちを彼自身が心のどこかで羨んでいたとしても、否定し続けなければならなかったから、問い続けたのでしょう。あれは自分に対する戒めでもあるような気がします。
そもそも「鳥」という言葉自体が「自由」さらにいえば「生きる」のメタファーであるのに、わざわざ真逆の意味で用いるところに、アルトリウスの闇の深さがあると感じました。
彼もセリカと一緒にいた頃は、生きたいから生き、愛したいから愛した。飛びたいから飛んでいたはずだったのに。でもその時間は失われ、感情は歪み、“生きている”とはいえないような世界をつくろうとした。

生まれる前の子どもが、翼をもつために生贄となった――自分はその犠牲を無駄にしてはならない、という思いもあったのかもしれません。

 

ところで、生前のラフィは、業魔のいない世界をつくって欲しいと願って死にましたが、それが人の意思を奪うことを前提とした世界だということは恐らく知らなかったと思います。
アルトリウスは「生贄が揃えばカノヌシが復活する。そうすれば業魔のいない世界がつくれる」という都合のいい部分しか説明してないのでしょう。ラフィには穢れなき魂のまま前向きに死んでもらう必要があったのだから。

ラフィの志は、確かに尊いし、彼のおかげで生贄にならずにすんだ命もある。
でも、大事なのは「ラフィは心の底からどうしたかったか」ということです。

生前のラフィが「鳥は飛ばなければならない」と思ったのは、
・十二歳病で自分の死が予測できていた。
・自分の命を使えばカノヌシが復活できると知った。
という特殊な事情があったということが理由の一つですが、それは自発的な感情とはまた違うものだと思います。
「僕には生贄になれる力があるんだから、そうしなくちゃならない」「男ならお姉ちゃんを守らなくちゃ」というのは、外的な要因が大きく影響している。ラフィは、本当に生贄になりたくてなったわけでは決してない。生贄にならなければならない、という状況が彼にその選択を強いただけです。

 

一方、ベルベット一行は、全員がそうしたくてアルトリウスと対峙し、彼を止めました。

他人に生き方を曲げられるような世界は、アイゼンやアイフリードの「自分の舵は自分でとる」という流儀に反するから。
ロクロウは、斬りたいという業を鎮められたら俺が俺でなくなるから。
マギルゥは、最後まで見届けなければどーにもおさまりがつかないから。
エレノアは、自分で真実をみつけ出したいという思いを胸に灯していたから。
フィーは、ベルベットと一緒にいたいから。 

こう見ると、「世界のため」とか誰一人考えてない清々しいパーティですね~
エレノアやフィーは、人間・聖隷・業魔のために何かできることをしたい、と思っていますが、それも自発的な感情で、誰かに強制されたものではありませんでした。

  

          理性と感情

ベルセリアのストーリーは、気付いたら世界を救う救わないの規模になってるいつものセカイ系っぽいテイルズではあるのですが、結局のところ、やはり
「ベルベット、シアリーズ(セリカ)と、アルトリウス、ラフィの気持ちの擦れ違い」という家庭内の不和が伸展しただけなんですよね。理性と感情の対立構造も、この一家の問題の中にあります。

男性側は、家族よりも世界を変える方を選んだ。そのためには家族をも犠牲にした。それが正しく必要なことだと信じるしかなかったから。(理)
女性側は、理は理解できるが、それでも世界より家族を選んで欲しかった。その気持ちを汲んでもらえなかったことが悔しくて、どうしても許せなかった。(情)

そしてこの女性陣の「どうしても許せない」っていう感情がすごくポイントになっていると思います。
どれほど理解しようと努めても、自分の感情が理にかなわないとわかっていても、頭ではわかったとしても、許せないから許さない。
そういうどうにもならない感情が生まれるのって、男女間というよりも家族といった繋がりの中になるのかな、と感じました。ベルセリアで姉弟、兄妹、兄弟、母娘……そういった関係ばかり描かれたのも無関係ではないと思います。

エドナは、死神の呪いを理解しつつも「危険でも構わないから一緒にいたい」と言いました。
でもアイゼンは彼女のもとには戻らなかった。本当は、自分が自分でいることを受け入れてくれるアイフリード海賊団に居場所をみつけて、そこであるがまま生きるのが自分の本当にしたいことだと思ってしまったからです。そのことをずっとエドナに伝えていなかったから、彼女から返事が来ることはありませんでした。でも、アイゼンが本当の気持ちを伝えたとき、エドナは返事をくれました。たぶん、エドナは「お兄ちゃんが本当にそうしたいのなら仕方ないか」と思ったのでしょう。飛びたいと想う鳥を閉じ込めてしまっては、それは鳥でなくなってしまうのだから。

 

まとめ

アルトリウス、ラフィは「翼をもつ鳥は飛ばなければならない」と考えたが
ベルベットは「自分がそうしたいから飛ぶ」とした。
また、パーシバルの「飛べない鳥は鳥ではない」という考えのとおり、自分の意思を抑えたまま生きるのは”生きている”とはいえない状態である。

自分がそうしたいと思うから、自分の気持ちのとおりに舵をとって生きてみる。そのときはじめて「私は・僕は・俺は」と言うことができるのではないか。
少しも寒くないわ。